古き良き風習というのは時代の流れとともに徐々に風化していくものです。しかし、決して忘れるべきではない精神というのもきっとあるはずです。
科学が進歩していく中で目に見えないものの存在に根拠が持てない時代になってきました。しかし、自分の命が今あるのは長きに渡る生命のバトンを受け継いできたからです。
そのことに間違いはありません。お盆とは先祖の霊を迎え、今ある命とこの世に感謝する行事です。霊を信じる人もそうでない人も、信仰や宗教の壁を超えて、お盆の風習に身を委ねることは大変価値のあることです。
この記事の目次
お盆の期間と意味
お盆はいつからいつまで?
お盆には「旧」と「新」があります。東京都では7月盆と呼ばれる7月13日から16日までの新のお盆が一般的ですが、他の地方では8月盆と呼ばれる8月13日から16日までの旧のお盆が広く認知されています。
先祖の霊が帰ってくるということで、できるだけ家族揃って迎えられるよう、夏休みの期間で盆を行うというのも関係しているようです。
お盆とお彼岸の関係
お盆は、多くの人が「帰ってくる先祖の霊を供養する」という程度の意味合いで捉えています。これは間違いではありませんが、せっかくですのもう少し掘り下げて解説してみましょう。
まず、先祖の霊を敬うという意味ではお盆に似た行事で「お彼岸」というものがあります。
お彼岸もお盆も仏教の信仰に基づいたものであり、双方お墓参りにいって手を合わせるものですが、意味合いが少し異なります。
お彼岸は先祖の霊が帰ってくるわけではありません。魂のいるあの世の世界と、私達の暮らすこの世の世界が最も接近する日として考えられているのがお彼岸です。
「岸」という文字が使われているように、一本の川を挟んでのこの世とあの世であるというようにイメージすればわかりやすいでしょう。
お盆とお彼岸の意味
お彼岸はそれぞれの世界が近づくので、お墓参りにいくことで元気な姿を先祖の霊に見せるという意味合いを持ちます。
現実の人間社会でいえば、一人暮らしをしている子供が、仕事で実家の近所まで来たので顔を出すというような感じです。一方、お盆の方は3日間の期間を設けてしっかりと帰省をするという受け取り方になります。
ちなみに彼岸という言葉はそれだけで意味を持っていて、仏教の教えでは悟りの世界とされています。お盆にもそれに当たる言葉があり「此岸(しがん)」といいます。此岸は迷いや苦しみ、不安や心配、欲望など、生きる人間のすべてに備わっている煩悩をあらわしています。
どうしても生きづらさを感じてしまうことの多い、煩悩まみれの人間が、年に一度悟りの世界をのぞいてみることで、そこから開放されるように先祖に手を合わせ、今ある幸せに気づくという意味があります。
大切なことを思い出す行事
つまりお盆は、単純に先祖の霊が帰省して遊びにくるわけではありません。霊は常に天国から家族を見守っています。それでも、先祖は私たちに直接手を差し伸べることはルール違反となっています。
だからこそ年に一度、お盆のときに帰ってきて何かしらの気づきを与えようとしてくれるわけです。ですので、迎える側のこの世に生きる人間としては、迎え火に送り火など、しっかりとしたもてなしが必要なのです。
古くから伝わるお盆という風習を形式だけでこなしている人もたくさんいます。もちろん、忘れ去られていくよりは好ましいことですが、一歩踏み込んで少し知識を学ぶことで、意味や重みが変わってきます。
お盆は忙しい現実主義の社会の中で忘れてしまったものを思い出す、大切な行事のひとつでもあります。長い命の歴史に目を向けてみましょう。
お盆にまつわる知識
さて、お盆には送り火と迎え火の他にたくさんの儀式が存在します。
精霊馬(しょうりょううま)とは
最も特徴的なのは精霊馬(しょうりょううま)でしょう。精霊馬とは、ナスやきゅうりに爪楊枝や割り箸で4本の足を作って備えるものです。
見た目にも可愛らしいお供え物ですが、立派な意味が存在します。精霊馬はその名の通り、精霊たちが乗る馬になります。あの世の世界からこの世の世界に帰ってくるときに乗馬するわけです。
お盆は迎え火と送り火を行うのが一般的ですが、火を灯すことでこの精霊馬が道に迷わないようにするという意味があります。
野菜を使ったこの乗り物は、精霊馬という呼称で認識されていますが、じつは馬の他に牛もいます。一般的にはきゅうりのほうが馬で、ナスのほうが牛とされています。なぜ、2種類も用意されているのでしょうか。
きゅうりとナスの精霊馬
現実社会で旅行をする時のことを考えてみてください。目的地までは早く到着したいと思うのが一般的です。そこでは精一杯思い出をつくり、楽しむことでしょう。
帰りはどうでしょうか。旅の余韻に浸りながら、ゆっくりと帰省したいと思うのではないでしょうか。精霊馬にも同じことがいえます。あの世の世界からこちらへ来るときは足の速い馬に乗ってきます。
ただ、悟りの世界から煩悩の世界に来た先祖の霊は、家族との再会を喜びながらも、大変疲労困憊してしまいます。帰りの便はゆっくり牛で、という意味が込められているわけです。
また、お盆にはたくさんのお供え物がされますので、精霊もお土産で手一杯になってしまいます。よって、荷物をたくさん積める牛のほうが、帰るときには都合が良いということです。
盆踊りの起源
お盆といえば精霊馬の他にも盆踊りが夏の風物詩になっています。
町内で近所の人たちと集まって踊ったり、小さな街の夏祭りで踊ったりします。楽しい思い出という印象が強いものですが、ちゃんとした意味があります。
まず、盆踊りの歴史は平安時代にまで遡ります。当時の貴族や僧侶たちは崇高な仏教の教えを庶民の間で広めたいと考えていました。
しかし、当時の一般的な国民たちの殆どは文字を読むことも書くこともできませんでした。そこで、どのように仏教の世界観を教えようかと考えたところ、念仏にリズムをつけて、歌いながら、踊りながら教えると良いのではないかと思いついたわけです。
これはあくまで一説ですが、そうして庶民が火を灯し、高台には仏教の教えを説くことができる講師のような立場の人間が、念仏をひとつひとつ教えていったのが始まりといわれています。
盆踊りの意味
地域によってはこの念仏が、魔除けの力もあると信じられていて、先祖の霊がいつまでも安らかであるようにという願いを込めて、盆踊りが開催されているところもあるようです。
ちなみに盆踊りが開催される旧歴の7月15日は明るい満月であることが多く、電気のない昔の時代でも明るい夜となっていました。
ほんのりと照らされる月の灯りは男女の魅力を高め、江戸時代には盆踊りが出会いの行事になっていたという言い伝えもあります。まさに命のバトンをつなぐきっかけ、とも考えられます。
まとめ
現実主義者の人たちの中には古くからの言い伝えや、根拠のない解釈をくだらないと思うことがあるかもしれません。しかし、詳細に調べていけば、科学的に根拠のないことでも論理的な理由付けがされていることがわかります。
年に一度、目に見えない世界を意識してみることは、同じく目には見えない心という精神を穏やかにし、清らかにしてくれます。
煩悩の多いこの世ではありますが、盆踊りとお供え物、そしてお墓参りで手を合わせ、先祖に感謝をすることでほんの少し、気持ちが楽になるかもしれません。